飲める泥

飲まない方がいいです

成人式に参加しましたという話(2017年1月10日)

 先日、成人式に参加した。

 私は幼い頃から他人との距離の取り方が下手で友達が少なく、その数少ない友達を無意識のうちに傷つけてしまうこともあった。加害者意識も被害者意識も強くて、周りの人間に見えない壁を感じて孤立しがちだった。だからずっと成人式には参加しないつもりだった。両親ともに成人式に参加していないことを知った幼い私はふざけて「私は成人式不参加のサラブレッドだから成人式には出ない!」などと言ったりしていた。馬鹿である。

 しかし、自分はどうも20歳では死ねないらしいということを悟ってから考えが少し変わった。誰のため、なんのために成人式に参加するのか考えるようになった。大型デパートで成人式用の振袖を嬉しそうな顔をして見て、私にたくさんの振袖を試着させてはなんでも似合うと言って何度も写真を撮る両親のことを考えたら、やっぱり感謝の意を込めて晴れ姿を見せるべきだと思った。そして、同級生よりも1年遅れて大学に合格してから電話はしたものの面と向かってお世話になったお礼を伝えられていない中学・高校時代の恩師に会ういい機会だと思った。だから私は、両親に晴れ姿を見せて、恩師にお礼を伝えるために成人式に参加することにしたのだ。

 しかし、過去のトラウマは消えない。小学生の頃、私と仲の良いふりをしながら陰口を言いまくったり私をハブにする割には都合のいい時だけ利用した女子たちに遭遇したらどうしようと気が気でなかった。また、成人式に参加しない派の「親しい人には定期的に会ってるのだからわざわざ成人式に参加する必要はない」という意見に無性に腹が立った。

 成人式の当日まで私の気分は低迷したり高揚したりと目まぐるしく、また周りの人たちに迷惑と心配をかけてしまった。しかし、当日、ヘアメイクを担当してくれた方がチークを塗ってくれた時、「笑って。うん。あなた、笑っていた方がいいよ!」と声をかけてくれた。せっかく豪奢な振袖を着せてもらうのに、10年近くも前の過去や他人の意見に振り回されるのはもったいない。笑顔で家族と写真を撮って残したいと思い、余計なことを考えるのはやめた。余談ではあるが愛すべき弟の自撮りのうまさには驚かされた。

 それなのに開場時間が近づくと再び思考がマイナスになってしまった。家族と離れたくなくて、会場前で大人気なくごねるなどしてしまった。数時間後会えるからと言って帰ってしまった家族のことを考えながら、私は会場の公衆電話の隣で1人でじっとしていた。友達と来たらしく談笑している新成人で溢れかえる会場で突っ立っていると、精神的なきつさと、実際に紐やらタオルやら帯やらでぎゅうぎゅうに締め付けられたきつさですっかり参ってしまった。両親に晴れ姿を見せるという目標は達成したしもういいやと、結局私は式典が始まる前に退場することにした。

 夕方、頃合いを見計らって中高の同窓会に参加した。会場に到着すると、6年間をともに過ごしたかつての同級生たちが、華やかな振袖、着物、ドレスに身を包みほぼ勢揃いしていた。皆、特別変わった様子はなくて、それなのに10代の頃とは確実に違っていて、不思議な気持ちになった。先生方はどこか老けたように見えて、ああ、2年歳をとるということはこういうことなのかと思った。かつての同級生たちとほぼ2年ぶりに談笑をして、名前のわからない高そうな食べ物をつついたりしているうちに中高時代のテンションが戻ってきて、その肉体と精神がぴったりと重なったような感覚が妙に心地よかった。お世話になった先生方に顔を見せて、今は高校3年生の頃志望していた分野とはかなりかけ離れた分野の大学でなんとかやっているということをようやく言えて、なんだかすっきりした。先生方は応援していると言ってくれた。

 先生方の簡単なスピーチの時、私の高3の頃の担任が、個々の才能を生かしてほしいというようなことを話した。私は別に今大学で学んでいる専門分野に関する才能が自分にあるかどうかはわからない。しかし、こうして「書く」ことを続けられているということは恐らく自分に合った道ではあったのだろう。

 いろいろなことを考えることができて、いろいろな気づきがあって、悩んだりしたけれどやっぱり参加して良かったと思えた。それに私は連絡無精かつ出無精だからこういう場でないと旧友に会うことはない。2年ぶん大人になった彼女たちに会えて本当に良かった。